たまには真面目な税な話でも
立法府たる国会は何か政治的な決定を下そうとする時に財源を第一に考えているわけがない。
今回はそんな話を少しだけしたい。
最近、ちょこっと国民民主党が議席を伸ばしたことで、ちょこっとしたことを主張していることに大多数の議席を持っている政党の方々は非常にドキドキしている。
行政府の長である内閣総理大臣と、その部下のようなものである各大臣が省庁の意図を組み上げて難色を示しまくっているのは誰が見ても明らかである。
正直、そこについては当然なことではあるという感想。
何故なら行政としては今までやってきた方針を大幅に転換することであり、変化を恐れる彼らには到底飲みたくない(もしくは自分たちから言い出してやりたい)ものであるからだ。まあ言ってしまえば自分たちであればもっとうまくやれるというプライドだったり、国を動かすためのイニシアチブ、ここでは過去最高とも言われる集めた税金をわざわざ自分から手放すようなマネはしたくはないわけだ。
それもわかる。行政としては自分たちが主導で国を救いたいのだ。必要な時に必要な所に適度にバラマキを行い、感謝と幾許かの再就職先を享受する。
中にいるもの達だからこそわかるものも確かにあるのだろう。自信もあるのだろう。
だがこの失われた30年などと呼ばれる期間、世間から日本はどうなっているかという評価については概ね一致している。「不景気だぁ~」である。
安倍氏が総理大臣になって、ある程度の舵取りを行った上でも不景気は解消していない!と言われているんだからもうそりゃどん底と言えるだろう。
これは報道機関ですらそう言ってたんだから当然間違いない。はずに違いない。だって彼らは真実を追っているに違いないのだから。
この不景気の中で、行政は税収をどうにかして安定させようと苦心した。
本来の税収のエースとして君臨していた所得税がマジごっつい不景気によって全然取れなくなっちゃったからだ。
このままでは社会保障に支障が出てしまう。そこで始まったのが消費税なわけだ。
本当にある意味では頑張って社会の維持に努めたことだろう。世間から罵倒されてもきっちり取り続けてきた。
実際の所、それによって全体の税に占める消費税の割合は本当に大きくなり、税のエースとして君臨しているのが今なわけだ。
個人的には、それらのやりくりだったり工夫、苦慮について完全な否定はできないものだと評価するべきだと思う。
さて、そんな中消費税も10%となり、過去最大の税収となった現在なわけだが。
ここにきて最初に言った国民民主党のちょっとした主張が彼らを刺激している、ということは納得がいくことだろう。もちろん抵抗しないわけがない。
ただし、だ。
今回の一連の流れで最も納得されないであろうことが一つ。
それは、いわゆる減税することについての反対意見の理由付けが「財源」であると強弁していることに他ならない。
あのな、過去最大の税収だぞ。しかも内訳は消費税が占めている割合がかなり高い状態での最大税収だ。
これが仮に、景気が良いことで所得税、法人税ががっぽり集められた結果、最大の税収になっているのであれば、そもそも減税などという必要はないわけだ。
だが今の状況といえば、どん底だった不景気から世界情勢の変化を受けてようやく先が見えるかもしれないという状況だ。まだバッチリ良くない。パワプロで言えば黄色い顔。
稼ぎ頭たる企業が管理職や人手不足に喘いでいる中で口が避けても景気がいいですなぁガハハなどとは言える状況ではないのだ。
それを消費税でなんとか補填するような自転車操業的な財政を行いつつ、30年も有効打を撃つこともできず(敢えてこう言わせてもらう)、
まずそこに対しての総括が身内で必要とすら思えるような中で、行政は過去最大の税収であることを無邪気に喜んでいて良い訳がないだろう。
本来の健全な財政は累進性がある所得税でやりくりしなければならないところで誤魔化し誤魔化しやってきた中で、
しかも使う側としての組織がどこもかしこも自分たちの支出を振り返って整理していく素振りすらない体たらくでだ。
まさに砂上の楼閣とも言える税収の上に立って、減らされては困る、財源がない。などと言って誰が素直に「はいそうですね。無理ですね。」などと言うのだ。
なんなら消費税のような、泡銭のような税金で賄えていた今までのうちに、なんとか自分たちの支出を見直して健全化を進めることが理性と良識のある行政府の役目ではなかったのか。今まで何をしてきたんだ。30年だぞ。評価が割れる部分もあれ、事実として30年も事態を放置してきた責任は極めて重大だろう。
膨れ上がった税金を使うことしか考えていない貴族のような発想だからこんな過去最大の税収の際でも「財源がない、行政サービスが立ち行かなくなる」なんて厚顔無恥なことが言えるのではないか。
まぁ、税の集め方使い方については言いたいこととしてはこんな所だ。
別に行政がやってきた工夫や苦労が完全なる間違いであるとは思っていない。ある意味では仕方のないことと個人的には評価しているほうでもある。
だがこの状況でそれを言うかというナメた態度が一番気に食わない。
では次に、ここで立法府である国会について振り返ってみる。
国会で何かを決めようとする際、どのような政党であれまずは「何をするべきか、何をしたいのか」から始めるだろう。
そしてその方向性をはっきり決めた上で、「実現に必要なリソースを確保」している。
例えばこういう政策を実施したい!を先に決めた上で法律を作る。では予算についてはどうするかという話になり、
次に税の確保を行おうとする。場合によっては国債を発行する。
国債は基本的には発行しないことが望ましいが、長期的に見て国のためになる、必要なもののためには国会の承認を経て発行できるとされている。
何にしろ、まずは「やる、やらない」という大前提を決めているのだ。
こうやって国会は政治を動かしている。
じゃあ、だ。
国が政治を動かす時に、財政から逆算して採用するべき政策を決めているのか?
それとも、行わなければいけないもの、行うべきであることを実現するためにあらゆる措置を講じて成立にこぎつけようとするのか?
どっちが先かみたいな話になってしまうが、立法府としては後者で考えていることが多いし、実際そうするべきだろう。
立法府は国の方向性を決めることが使命であるし、その実現のために奔走するのが行政であるはずだからだ。
簡単に言えば「やりたいからやっている」
さてこの時、国は結果として増税となる時に今回ほどに財源論で炎上することなどそもそも有り得たか?
ないよなあ。
もちろん方向性自体が決まる際に政争の具としての意味合いで炎上することはあれど、一度決まったあとの財政補填の際には驚くほどスムーズに決まっていく。
税金として取る際は驚くほどシレっとして何かおかしなことでも?とでも言うかの如くやってきた歴史があったわけだ。
なんせ立法府で決めたことだから、必要なことであるからだ。それについては異論の余地はないと思う。
では今回、(何か予想外なことではあるが)景気のサイクルを好転させるために税金を減らして庶民の懐を暖かくしよう。という話となった。
実際、その論理については主だってどこも間違っているとは言っていない。
そりゃそうだ、税金って可変するもんなんだから。
国の運営のために足りなければ増やし、足りてるなら減らして燃料とするものだ。当然のことながら不可逆性のあるものでは断じてない。
しかも、今回言い出していることの根拠となる建て付けは生存権という「憲法」が方便となっているからだ。まぁこれはちょっとズルいと思わなくもないが、間違いなく向き合うべき現実でもある。
こんな流れで方針としてはそうだよねという合意が形成された状況で、
「財源がないから無理です」と突っぱねようとする意見それ自体がそもそもズレた発想なわけだ。
ここで最初に書いたことをまた繰り返すが、
立法府たる国会は何か政治的な決定を下そうとする時に財源を第一に考えているわけがない。
立法府としては、国のためには必要だと判断したことであれば、実行することが役割だし、それが憲法に基づいたものであれば義務であるとすら言える。
文句を言うのは当然ながら行政府であるべきだが、その上で実現のために奔走するのも行政であるべきなのだ。
自分たちの都合でやりたくないものを理由をつけて無理だと言うことは許されない。宮仕えである以上仕方がない。
立法府にいる方々がしなくてはならないことは、「するべきこと、しなくてはならないこと」の方針が決まるのであれば、
行政の顔色を伺って妙な気遣いなどをせずにとっとと実行に移す決定を下すこと。なんならそれ以外の役目など存在しない。
ということで、その方針を国会で通すため、通さないためにドンパチやっているというのが現状である。という話。
ただ個人的には、取る時だろうと減らす時だろうと、必要だと思っているならばまずは決定を下すことが求められているのではないかい?いいんだよ。やるでもやらないでも。
と考えている。物分かりよく中途半端な調整なんてしてると立法府としての意義と格が揺らいで見えるぞ。