色んなキャラに感じる薄っぺらさについて頭の中で整理した
先に言っておきたいけど、人の好みにケチつけたいわけじゃないから。
さて、今回はタイトルにもある通り、色んな物語上のキャラというものについて少しだけ思う所があるので、書いてみようと思う。
古今東西、この世界には様々な物語があって、漫画だったりアニメだったり、映画だったり、文学だったりお芝居だったり。もうそれは数え切れないくらいのアレがあるわけだよね。
そしてその物語よりも更に多くキャラクターも創造されては消えてを繰り返しているわけですよ。
で、今回どうしても私が譲れない部分について触れていきたい。
それは、「キャラクターが持つ強いこだわり」がどこから来るのかという話。
ここからは少し嫌いなものについて話すのでめんどくさい戯言に聞こえるかもしれないけれど、そういうもんだと思って適当に聞いてください。
私はね、極端なことを言うと
「食べ物を粗末にする奴は絶対許せない死ね!」とか言うタイプがすごく嫌いなんだよ。
他にも、「お年寄りは大事にしろ…殺すぞ…」とか言うタイプとか、
「俺は一人が好きなんだ近寄るな」とか言うタイプとかも嫌いになりがち。
更に言えば「俺には難しいことはよくわかんねぇ!けど!」とか言うタイプも。
だが、この時点ではすごく嫌いとはならないんですよ。ウソかな?
いやいやそういうことじゃない。私がどうしても受け付けないのが、この属性を持ったキャラクターがとある条件を満たしている場合なのだ。
その条件が、「特にそういう極端な論理を使うようになるに至るバックボーンがなく、単純に本人の気分及び性格によってそういうキャラ付けがなされた場合」
という話なんですよ。
魅力のあるキャラって何?って話になると、私はやっぱりそのキャラの言動やら行動やらが確固たる信念のような、一歩間違えれば狂信のような要素すら孕んだ結果の産物になっている一本筋が通ったキャラクターだと思うんですよ。
例えば、最初に言った「食べ物を粗末にするんじゃねェ」系。
これも、ただ単純に社会規範がどうこうだとかそういう理由で言ってるとしたら、私は「なんて陳腐な動機なんだ」って思っちゃうわけです。
現実社会においては、その陳腐な動機を持つことがどれだけ重要で優秀なことなのかは論ずるまでもないことですが、こと創作物においてそのバックボーンの薄さはキャラの魅力という点では致命的だと言いたいのです。
ただでさえ、そんな物騒なことを言って、他人を威圧するが如くのこだわりを見せつけてくるような、言ってしまえば大仰な物の言い方をするのであれば、そのキャラを創作した側がまず何よりも考えるべきことは、言葉の使いまわし方とかそんな所よりも、「なぜそこまで極端な発想に至るようになったのか?」という過程の部分についてちゃんと掘り下げることだと思うんですね。
例えば、元傭兵が相棒と二人で敵地に潜入した結果捕まってしまい、餓死寸前に追い込まれた時にどちらかが生き残る分の食料しかないみたいな話になって、それこそ死ぬつもりだったそのキャラが、相棒に助けられて相棒は死んでしまいました。そのことを今でも悔やんでいます。みたいな背景があったとします。
そういうキャラが、「食い物を粗末にするな殺すぞ」って言うのは物凄くわかるわけです。響くわけですね。そういう体験があって、トラウマレベルにまでなってしまったことで出てくる言葉と思うと、重さを感じる。
ですけど、特にそういう背景について語られもしないで、「俺は食べ物を粗末にする奴だけは絶対に許せねえんだ!」って突然言い出したとして、どこまで響くのかな?ってことを言いたいんです今回は。
これは別に言動だけじゃなく、行動にだって当てはまりますよ。
例えば、困った人をどうしても放っておけないタイプのキャラだったり、復讐鬼のようなキャラだったりが、なんでそういう性格や行動をしているのかっていう掘り下げを全くされていなかったらどう思うでしょうか。私はヤベえと思う。
さてこういう話をする時、まず前提として考えておかなければならないことがあって。
こういうキャラ付けの根っこにあるものが「一般常識」だったり「社会規範」だったりすればそれでいいじゃないか、食べ物は大事にするのが当然じゃないか。っていう論もなくはないと思うんです。
でも、私が今回言わせて欲しいのは、「キャラに対して共感するかどうか」ではなく、「そのキャラにどれだけ惹きつけられるのか」ということを重視して考えているということなんですね。
そりゃですよ、食べ物は大事ですよ。そんなことは子供でもわかるし、34歳のおじさんでもわかる。
だからといって、その万人にほぼ共通するであろう崇高な価値観を、その創作物におけるキャラにただ載せただけで、それがそのキャラに惹きつけられる要素にはなりゃーせんのではないですか?ってことを前提としています。
ということで、ごちゃごちゃとまとまらない話をしましたけど、要するに「キャラがする特徴的だったり過激だったりする言論には、ちゃんとした根源になるような要素をしっかりと作り込んだ上で表現させよう」ってことです。
おそらくですが、それができない人の作り上げたキャラクターの一部が
「作者の思いだけを代弁させてるオナニーキャラ」
みたいな誹りを受けたりするんじゃないかなと思ってるんですね。
すいませんねちょっと下品ですけどね。実際言われたりするの見たもので…
私は、そういうキャラ作成の段階からちゃんと練り込まれてて、こういう体験をしてきてこういう発想をするようになったという下地があって、ここでこういう発言をしているんだな。って思えるキャラクターを見ると、「あぁ、熱いなあこいつぅ・・・!」って気持ちになります。
逆に、そういうのがなくて突然何か良いこと大声で言い出した!みたいなキャラを見ると、「何かこのキャラ言ってることは的を射た感あるけど、薄っぺらいな・・・」って思えてしまいます。
後なんかよくわからないけど変に達観してるキャラとかね。ああいうのはwikiとかでゲームのネタバレ情報を見た上で、ゲーム実況してる人に対して「これはこうなの当たり前じゃんw」みたいなことを言うのとあんまり変わらない痛さを、場合によっては感じてしまう落とし穴もあるから注意したほうがいいと思う。
じゃあ、最後にどうすれば創作者はそういう薄っぺらくないキャラクターを作ることができるんだろう?って話になると思うんです。
バリバリにセンスがある人だったら、もしかしたら湧き水のように出てくるのかもしれない。もしかしたらだけど。
でも、よほどのことがなければ、そういうセンスってないよね。
恐らくだけど、キャラ付けをする人間それ自体のバックボーンとなるものも、創作というものには付きまとってくるんじゃないのかなって。
岸辺露伴も作中で言ってたけれど、リアリティがとにかく大事だと。
だから、そういう「面白い」体験をしている人間っていうのは、面白いお話も、面白いキャラクターも創り出せる下地があるってことではないか。
ここでは「面白い」体験と書いたけど。
描きたい対象によっては、作者のネガティブな体験だって役に立つこともある。
もちろん、体験した本人にとってはたまったものではないだろうが。
例をあげれば苛烈なイジメを受けていたとか。そういう味わいたくない思い出。
でもキャラクターを1から創造するにあたっては、そういう体験すらも素材にして、相手に共感ではなく、衝撃を与えるようなキャラクターを作ってしまう人もいる。ネガティブを作品にするしたたかさを持っているわけだ。
多分、そういう所で色んな経験を身をもってしてきた、しようとしている人間が作るものと、そうでなく机上の空論で想像上の作品を作ろうとしている人が作るものが、そのままキャラクターが重厚なのか薄っぺらいのかに繋がる要素の一つになっているんじゃないかな。って私は思いました。
以上、終わり。
私が思っているのはそういうことです。
激しい自己主張をするキャラクターには、それを納得させるだけの理由が要る。
それがなければ、どれだけ良いことを言っているようでも、私は逆に何か受け付けない気分を抱いてしまう。
これは、そのキャラクターが言っていることが、自分自身の意見と近ければ近いほど、その感覚は強くなっていく。
とどのつまり、本物か似非か。
私は創作物のキャラクターにそれを見ているのだろう。