にっき

現代の国政にあって、なぜリベラル・左派が力を失っているかを考えた

少し重たいテーマだが、休日の終わりにはちょうどいい指の運動と思い書いてみることにした。
今、時代は高市政権となり、一般市民からの注目を浴びているといって良い状況にある。

個人的にもこの動きは当然と考えており、何よりもこの政権は動きが機敏だ。
国会議員ないしは今までの内閣が如何ほどに仕事ができなかったか、できない状態でダラダラし続けてきたかが非常によく見える。
本質的に仕事ができないからこそ、「誰がなっても同じ」という視点を国民に持たれる原因になっていたのが今となっては納得である。
そういう意味で、日々自身のビジョンをはっきりと打ち出しているだけでも非常に優秀な内閣であることは疑いない。

さて、そんな好調な滑り出しと言える高市内閣だが、対立政党、まあここではリベラル・自称中道左派と呼ばれる勢力からすれば面白くない。
日々難癖をつけては格を落とすことに躍起になっている。高市氏自身もああいう性格なこともあり、バチバチにやりあっているような状況である。

では現実的に力関係はどうなっているのか。
まあこれは明らかに高市政権に追い風が吹いている。内閣支持率が示す通りであり、はっきり言って対立政党には冬の時代と言っても差し支えない。
長い事連立政権を組んでいた某政党に関していえば、思想ありきで三行半を突きつけたはいいものの、元々数が少ないものであるがゆえに一気に存在感が薄れた。
逆に、維新や国民民主について言えば協力路線を踏襲していることもあり、存在感が増している。

では、そもそもの話。どうしてこんなことになってしまっているのか?
ということを根っこの部分から俯瞰しつつ考えてみようと思った。

まず現時点でほぼないとは思うが、仮に衆議院解散となり総選挙が始まった場合。
これはもう間違いなく高市政権寄りの勢力が大きく勝つことになる。高い内閣支持率をバックボーンとした国民からの人気というものはほぼ覆せるものではなく、民意としては確実に政権が支持されている。
まあこれが、高市政権に対する評価=自民党全体への評価とはならないということが少し難しくしているわけだが、頭が変われば全体が変わっていくということを目の当たりにしている状況にあって、ここで自民党にとってマイナスに働くということはまあないと見ていい。
最近予算審議で高市氏が中国の機嫌を損ねるような答弁をしたようだが、それに対して対立政党は非難轟々である。しかし恐らくこれで内閣不信任案を出すことはないだろう。いや、出せない。出したら100%負けることは火を見るより明らかだからだ。それ以前に通らないだろうし・・・

なぜなのか?なぜここまでリベラル・左派は国民に支持されなくなってしまったのか?
かなり昔にはそれこそ国会を席巻するのではと思われるほどの勢いがあったはずなのに、何が起きてしまったのか。

私の見てきた中で考えたことであるが、「労働者のための政治運動」であった当初の社会主義的思想が、紆余曲折、内部闘争などを経て現代においてはリベラルと結び付き、「一部自称エリートによる思想の伝搬」が目的・手段となってしまったが故ではないだろうかと思う。

国民から支持を受けるためには、主に2つの手段がある。
1つが「明確な方針の提示により、賛同者の支持を受ける」ことであり、
もう1つが「思想・論理を草の根運動により広めていき、社会運動とする」ことである。

高市氏は前者において非常に優秀であり、言っていることはまさに現実を見た正論であるため、わかりやすく支持されるのは当然となる。
だがリベラル・左派においてはこのどちらについても失敗しているというのが現状なのだ。
どういうことか?
まず、リベラル・左派が前者の手法を使うにはあまりにも現実を見た論理が組み立てられていないことが、国際情勢を鑑みても多くなってきている。
わかりやすく言えば、右派・中道右派は現在起きている情勢を現実的に見た上で、必要であると考えていることをやらなくてはならないという考え方で動いており、その土台は現実主義となる。
それに対して、リベラル・左派は少なくとも言葉の上では「平和のための理想」を掲げており、その土台は理想論から成り立っている。

この違いが、今行っている政治活動において全く噛み合っていない、つまりうまくやれていない。それが今のリベラル・左派の失敗の原点であると推察している。
現実主義の上に立つ右派・中道右派は大多数の国民とも意見が合うものである。つまりそれが現実の上にあるものだから「大抵の大多数」が見る課題は共通しているからだ。
しかしリベラル・左派はそうはいかない。理想主義を掲げているが故に、「今現在そこで起きている問題に対しての解決策」に対してのアプローチが非常に重要なのだ。
それをしっかりと明示し、政敵の揚げ足ばっかり取ってないで自分たちの意見を表に強烈に打ち出す必要があるにもかかわらず、現代日本の左派勢力においてはその論理が非常に脆弱なのだ。

これは、世界情勢が不安定になっていることに端を発している。要するに、平時においては理想論だけで人はある程度引き寄せられるが、いざきな臭さが漂ってきた時には人間は現実を重視するのだ。
これは当然のことであり、本当に危なくなってくるのであればまず目の前の問題を解決しないという選択はありえないわけだ。

さて、リベラル・左派の問題点であるが、理想論を現実に落とし込むための理論武装が圧倒的に足りていない。むしろ長年の野党根性が染み付いていることによって放棄しているとさえ言える。
そのため、最近の質疑を見ても思うわけだが、「君たちはじゃあそれをどうやって解決するつもりなんかい?」といった難題を平気で総理にぶつけていく。そして現実を見た答弁をすることに対し、自身が持つ理想論を振りかざしこんなのは間違っている、と批判するわけだ。
はっきり言ってこの手法で支持を引き戻すことができると考えているのであれば、あまりにも時勢が見えてなさすぎる。

こんな問題は、一朝一夕で解決できうるものでないことぐらい誰が見ても明らかである。だから問題となっているのだ。
それに対して理想論を錦の御旗のように振りかざして踏み絵のように質疑の弾丸として使うこと自体が、非常に無責任な行動であると言える。
事実、実際に問題が表出した場合にどうするかという命題に対する答えは、どの野党も納得できるものを出せていない。
例えばお隣の国みたいな都合の良いエコーチェンバーが騒ぐことを念頭において踏み絵のような質疑をしているわけだ。これはもはや炎上商法のそれだろう。

リベラル・左派が本当にしなくてはならなかったことは、自身が持つ立派な理想論を現実に落とし込むための具体的な理論武装であり、自身がその実現性の薄さを攻められた時に誰に対しても納得を得られるような説明をするための準備なのだ。
それを抜きにして、現実主義をいくら罵ったところで机上の空論に過ぎず、夢物語を無責任に垂れ流す仕事できない人みたいなことにしかならない。
今、国民の支持が離れてきている原因はまさにここにある。

一昔前までは確かにそのような動きはあったと言えるだろう。だからこそ社会党が勢いをつけた時期もあった。
だが今は正直言って全くそんなことはなく、リベラル・左派自体が劣化してしまった。
そして、それら勢力の姿勢となってしまった「頭のいい人たちが一般市民に正しさを教えてあげる」というスタンス。
これが何よりも裏目に出てしまったのが現在である。
劣化してしまった今となっては、国民に納得感を得られるような理論を説けるような政治家はほぼいなくなってしまった。
思想ありきで敵対勢力を罵る、揚げ足を取ることだけがうまいといったしょうもない層が中心となってしまった。

そして最終的には「この理想を理解できない一般大衆が無知なだけであり罪である」等といった本末転倒、まさに論外なスタンスを持つ人間も増えてしまった。
何度も言うが、国民に支持されるためには、自身が持つ理論を「納得できる形」でどのように実現できるかを説くことが不可欠なのだ。
「わからないやつがバカ」ではそこで議論が終わりとなる。自称エリートはそこで自尊心を満たせるかもしれないが、その後に誰もついてこない道化であっては何ら意味がないのだ。

個人的な話をすると、左派が持つ理想論それ自体は簡単に否定できるものではなく、実現が可能であれば最善であろうことは理解している。
(ブラックジャックとかすきだし・・・)
だが、その旗振り役が尽く劣化しきってしまい、国際情勢の波にもついていけないような状態であるがゆえに、今この状況となってしまった。と考えている。

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