道徳の教科書って結構好きだったわけで
今回は雑文となります。
道徳とか倫理って、やっぱり人が生きていく中で絶対必要なことなんだと思うんだよね。
私は結構小学生の時に配られてた道徳の教科書を読むのが好きでさ・・・あんまり内容は覚えているわけじゃないけどエッセンスはなんとなく染み込んでるっていうか。読後になんとも言えない寂寥感があったり、どこか心が暖かくなったり。そういうのが楽しかったんだよね。
で、そんなことを思い出してたら、人はどう生きるべきなのかとか考え始めたりして。
というよりは、私はどのように生きることを心がけているのかということを、残してみたいと思ったりしたわけ。
考えたことを文章にすることを習慣づけるって、大事だからね。
私が自分の行動や判断の指針とすることは簡単に言えば一つだ。
「その選択が自分の中での正しいこと、良いことだと思えることに沿っているかどうか」
単純明快だがそんな感じだ。もちろんその上で楽しいことであるならばもう言う事はないかなと。
実利よりも納得、ということだ。
例えば、自分のポリシーに沿わない選択をすることで自分に利益が生まれるような状況があった場合。
私はその選択を恐らく取ることはしない。それによって短期的な利益を得たところで、ポリシーに沿わないことをしたという事実は残るからだ。
それがどのような形で自分に返ってくるかが想像できない、例えば他人に後ろ指さされるかもしれないし、自分の中でどこか胸に引っかかるような後悔として残るかもしれない。どちらかと言えば後者が特に嫌なんだな。
自分自身が常に前向きでいられる、常に自信を持って生きていく。そのためには「自分の生き方が天地清明に誓って真っ当なものである」と胸を張って言える状態を維持できていることが非常に重要なことなのだ。
それが自分に更なるパワーを与えてくれる(ような気がする)し、自分の新たな成長の機会となる(ような気がする)しで、正直何も持たない一般ピープルである私としてはそれだけが唯一の武器だと、そういうプライドを持って生きている。実はこう見えて反骨精神の塊みたいな性格なんで、様々な世知辛い現実に対して、「それがどうした!」という心持ちでいつもやってんですね。
もちろん人間なので間違いもするだろう。
ただ、自身のベースラインがそこにあることを自覚しているのであれば、間違いに対して適切に対処することもできるだろう。
決して卑屈になりすぎることもなく、人のことをあれこれ妬んだりすることもない。肝心なのは自分が思う「正しいこと」に沿って生きていくという意思なのだ。
特に宗教を自身の絶対的な寄る辺として考えていない人間としては、本当に重要じゃないだろうか?
さて、話が長くなってしまっているが、ここで考えなくてはならないことがある。
人間はそれぞれ、人生もそれぞれ。そんな中でそれぞれの人は「正しいこと、良い行いであること」をどのように判断できるのか?
ここを無視することはできない。
私はかなり昔、それこそ大学生ぐらいの頃から色々ブログやらなんやらやってたが、その都度繰り返し言ってることがある。
「教育」が全てにおいて重要だということだ。
教育の目的は人によって様々あれど、私にとっての教育の真髄は「学んだ様々なことを踏まえて、自分が良いこと、悪いことを判断できるようになるために必要なコンパスを与えてくれる」ところにある。
得た知識をどのように使うか、それこそ自分の仕事や将来のために使うことも当然だろうが、自己の中にある揺るぎない判断基準、心の中の城のようなもの。そういったものを作るために人は学ぶのだ、と。
こういう考えなもので、教育をどう受けるかということと併せて、教育とはどうあるべきか、ぞんざいに扱っていいものではないよな、なんてことをよく考えたりしている。
で、そういう観点から考えた時に、道徳や倫理といったものはとても大事なものではないか・・・?と考えた次第なのだ。
今となって思えば、子供の頃は楽しくこういったものを読み物として取り入れることができたのは幸運だったと思っている。
・・・そんな感じ。
立派なことも書いているが、こうありたいという理想像を書いている部分も確かにあったり。
でも、こういう考え方を心がけていると、なんていうか気持ちのいい生き方ができるっていうか、後ろめたさで押しつぶされるような不毛な不安を抱えずに生きていけるわけよ。
私は今まで生きてきて、なんだかんだで色々ありつつも今こうしてある程度の生活ができている。それについては「運ですね」っていつも言ってるけど。
でもその運を引き込んでいるのは、ここまで話した考え方。「正しいことから外れることがなければ何とかなる」と思っていたからだとどこか確信めいたものを感じている。まあ楽天家と言われるわけですね。
私はこういう考え方をしているうちは、大きく身を崩すこともなくこれからも生きていけるだろうと自信を持っている。
余計な邪念にとらわれて利益のために小狡いことをしたり、人を妬んで足を引っ張ってばかりいたり、そんなことをすれば自分がどんどん毀損されていく気持ちになる。
もうちょっと人間ってのは、気持ちよく生きていくべきなんじゃない?
人によっては綺麗事だと映るかもしれないが、それを綺麗事だと思っている時点で一度自分の歪みについて見直してみるべきかもね。ということを言いたかった。
結局のところ、自分が正しいと思ったことを行うことは、あなた自身の選択であるし、他者が踏み込む余地なんてそもそも存在しないのだから。
と少し説教臭いことを言って終わろうかなと思う。
